私が自然農を始めた理由(気付き編)
自然農で、雑草という名の自然のマルチ(たむそん自然農園方式)に守られて発芽した固定種のじゃがいも
私が自然農を始めた訳について(気付き編)
「たった一人で、4億4千万円分、1000日の謝罪」とその後の〇〇!
以前のブログ(孫社長に影響を受けた独立前夜)では、独立して株式公開を目指す大冒険のきっかけについて書きました。その後独立して、初年度はビギナーズラック、2年目は2年目のジンクスをたっぷり味わい、資本力がないと大変なことを勉強しました。そこで新しい法人を設立し、金融機関からお金を借りなくても集めた自己資本で事業を運営できる地力のある活動拠点にしようと考えました。
当時2000年は、ネットバブルの残滓も残っていて、外部資本を調達して事業資金に当てる環境が整っていましたので、ベンチャーキャピタルや企業の投資担当者などにお声をかけるとお話だけでも聞きましょうと二つ返事でアポイントをいただけました。
私は、広告分野のプランナーをしていたので、企画を立案し、説明するというのは日常業務でしたので、相手が広告主なのか投資家なのかの違いだけで、事業のプレゼンテーションに長け、営業マン生活も長かったので、提案後の刈取りのタイミングの見極めについても長けていたようで、事業を始める前に1億円、事業を開始して第一回目の決算後に2億円、事業が厳しきなってきたときに、1億4000万円を集めることができました。ドラマティックな毎日でしたが、ここでは本論ではないので、他稿に譲ります。
事業が立ちいかなくなり、二度のリストラでも業績が上向かず、断腸の思いで会社を閉めることにしました。ここから、「たった一人で、4億4千万円分、1000日の謝罪」が始まります。
私は、当時の私の能力と事業の将来性を信じてくださった方たちから逃げずに対応しようと決めました。周りを見回すと、経営者仲間だった連中が、続々と自己破産をして楽になっているのが目に入ります。
それはそれは、大変な毎日でした。
また皮肉なことに生活のために古い友人から頼まれた広告営業の仕事は、リーマンショック後の広告業界の不況を逆手に取り、手伝い始めた初年度8億、2年目16億、3年目35億と文字通りの倍々ゲーム。しかし好事魔多しで、いきなり追い出されました。
そして「たった一人で、4億4千万円分、1000日の謝罪」の後の〇〇です。
独立のきっかけになった(孫社長に影響を受けた独立前夜)リクルート社の古い友人の社長就任内祝いの席で若い皆さんと大騒ぎをしていたときにくも膜下出血で倒れたのです。
〇〇は「復活」でも「夜明け」でも「改善」でも「奇跡」でもなく「地獄」でした。
そして運命は動き出しました。
病院に駆けつけた嫁さんに、担当の女医さんは「まず覚悟をお願いします。まず3割の方はこのまま意識が戻らずに亡くなります。処置が成功しても3割の方が意識が戻らずに、寝たきりになります。意識が戻ったとしても3割の方は重い後遺症に苦しまれます。」と意識の無い私に会う前に言ったそうです。
5時間にもわたる大手術の翌朝、白衣を着た人の「さぁ、起きて歩きましょう」の言葉で目を覚ましました。
私がこの世に帰って着た瞬間です。
奇跡に奇跡が重なり生還した訳ですが、奇跡をまとめると、まずリクルート社の友人に紹介しようと宴会に同行してもらった人に、過去同様のことがあり、119番通報に迷いがなかったこと、渋谷が会場だったので、救急隊の人が迷わずに慶應病院に向かったこと、当日に脳血管内科カテーテルの名医が宿直であったこと、など数えるとキリがない奇跡のおかげでした。
外科手術ではなかったので、翌朝白衣の理学療法士に起こされたのですが、1ヶ月という短い入院期間でしたが、それはそれは辛い脳機能と運動機能の回復のためのリハビリでした。
何しろ、頭蓋の中が出血した血に溢れたのですから…
最初の二週間は、「なんでこの俺が大病なんて…」「何のために生まれてきたんだっけ…」と自問し、次の二週間は「何のために生かされたんだろうか」と考える日々。
家族に支えられて退院の日を迎えました。
「私たちは、皆食べたものでできている」ことへの気付き
とにかく、再発したら死んでしまうので、再発しない生活の送るためにはどうしたら良いのかを退院前後から考え始めました。
直感的にひらめいたことがあり、あるヘルスケア関連雑誌に企画を持ち込み仕事にしながら調べることを思いつき実行。「がんサバイバー100人に聞く!がんに罹患した後にやめた生活習慣、始めた生活習慣」こういう企画立案と持ち込む積極性が持ち味な自分でよかったなと思いながら、ひらめいた仮説「食べるものの重要性」を検証できました。
この出版社は、業界全体を覆う不況の波に勝てずに縮小してしまったので、誌名と社名を伏せます。
と、その時にコンビニの書棚から私を呼ぶ声が…
普段はコンビニで本を見ないし、買わないしの私に誰が囁く?
「あなたは半年前に食べたものでできている」村山彩さんでした。
そのものズバリのタイトルでした。
そして運命は動き出しました(しつこい)。
夢中であっという間に読み終わり、著者プロフィールを見ると「野菜ソムリエ」資格取得とあります。野菜ソムリエ協会…?(出会い編に続きます)
「自分は食べたものでできている」のであれば、入院中の「なんでこの俺が大病なんて」の答えは明白で、嫁さんが一所懸命に健康のために考えてくれた食生活も、自分のワガママな偏食と「仕事上のお付き合い」という暴飲暴食で台無しにしてきたツケだったことだとガッテンしました。ひとりの健康オタクの誕生です。かなり強情ですよ!何しろ一度地獄を見ていますから。
「何を食べ、何を食べないか」まず、人工的な添加物をやめることから始めました。次に学んだのは、認められているものの、人体に影響があるであろうものから距離を置くことでした。一例として、市販のパンに添加されているイーストフードと乳化剤です。イーストフードは小麦を改良するための膨張剤です(イーストとは関係ありません)。乳化剤は、元アイドルが「どんな頑固な油汚れも、撫で洗い!」といっている食器洗剤と同じ界面活性剤です。次に学んだのは、除草剤の恐ろしさです。これは、ベトナム戦争時の枯葉剤を廃棄せずに製品に転用したものだそうです。出会い編でお話しますが、鋪道を歩いていると不自然なほど雑草の一つもない畑に人参の葉だけ茂っています。「除草剤に耐性のある」品種なんだそうです。しかし、恐ろしいとわかっていても距離を置くのが難しいのが表に出てこない栽培時の除草剤や農薬の使い方です。「信じられる人が作った野菜を食べよう」というのが「出会い編」です。そして移住することが決まっていたので、次は「自分で作ろう!」というのが「実践編です」
以上が「自然農を始めた理由(気付き編)」です。
この考え方、生き方は必ず社会を良くすると信じています。
できれば、皆さんのお近くの「食べるものの安全」や「自然農法」「アレルギーやアトピーのない世界」などにご興味ある方に拡散をお願いします。
これを社会運動にしていくことが私のミッションの一つです。
入院中の残された疑問
「なんで生まれてきたんだろう」は、
「私が自然農を始めた理由(出会い編)」で、もう一つの
「なんのために生まれてきたんだろう」は
「私が自然農を始めた理由(実践編)」でお話ししますね。
乞うご期待です!