私が自然農をはじめた理由(出会い編)

春の旬の代名詞「アスパラ」です。手前のあぜ道は雑草が我が物顔ですが、アスパラの周りにはほとんどありません。アスパラは地下茎で成長するので、耕運機をかけたわけではないはずです。そうです、大変効果のある除草剤のおかげです。除草剤に耐性のある野菜っておかしくありませんか。

 

「タダで相談に乗ってもらえませんか?」

連絡の用件より先に、タダってなんだよ!

今でこそ、各地方自治体に「地方創生担当」の部署が出来ていますが、時は2014年増田寛也氏の「地方消滅」が出版された直前です。件の(孫正義社長に影響を受けた独立前夜)リクルート社「デーモン小暮」氏から、社内に対応部署を作るのだが、まだ予算化も出来ていないが相談に乗って欲しいというのが冒頭の暴投とでもいうような一撃でした。(確か氏は、中学・高校と野球部だったはずなのに)

これからの大きなテーマであり、仲間の一人が長崎県の大村市でシティマネージャーに選ばれていたので、「タダで」ミーティングに参加することになりました。

当日は業務繁多を口実に「デーモン小暮」氏は欠席。

 

紹介者不在で要領を得ないご担当者と、大村市シティマネージャーの友人からのヒアリング報告を中心にお話をして、自分のプロフィールをお渡しして終了。

政府の出方を見てから次のステップに進みましょうかとご担当者さん。

了解、様子待ちですなと忘れようとした瞬間にプロフィールを読んでいたご担当氏からビックリするような単語が出てくるとは…

あの、初対面でなんですが「野菜ソムリエ協会」を運営する会社の社長に会っていただけませんかとのこと。

なんと!「野菜ソムリエ」ですと!喜んでお会いさせて頂きますとも。

なんでもご担当者さんは「ケイコとマナブ」で同社とのお取引があったとのこと。

 

そして運命は動き出した(しつこい)

 

そして後日、新卒だという社員を伴って登場した社長(後日、ご実家の家業を継がれたのでお会いしたのは一度だけ)は、開口一番「講師をお願いできませんか」ときました。なんでも野菜ソムリエの資格取得者に独立・開業の道もあることを講演してほしいとのこと。やったことはないけど、次の瞬間には「得意分野です!」と答えていました。それが、タイトルは都度変えていましたが、「すごい起業!ほぼ一人で小さな店の作り方」という開業指南講座の始まりでした。日本野菜ソムリエ協会の内外で延べ12回、延べ300人超の聴講者さんと、事業計画書のフリーダウンロード100件、約20名の独立・開業者を生み出す人気講座です。

やったことはなかったけど、自信があったのは、以前にある区の開業支援講座を受講したことがあり、その古臭さに辟易し、自分ならこうすると思ったことがあったのです。

カビ臭い、ビックリするほど古いマーケティング理論で、起業経験の絶対にないであろう年配の中小企業診断士の「先生」が壇上から一方的に正論らしきものを披露して終わり。

店舗運営経験もないから、突っ込んだ質問には「立地が一番大事です」程度の受け応えで終始。

「これは、ペガサス理論と言ってですね、50年前に大規模小売店舗の成功理論と一つとして…ダイエーやイトーヨーカドーのようなチェーンが…」と講演を途中から私が引き受けたいくらいでした。

 

その時に、なるべく具体的に事例を出して組み立てようと決めました。

そのためには、取材ありきです。全く馴染みのない業界団体や、政府系の金融機関などにヒアリングの申し込みをリクルート社仕込みの飛び込み門前払い上等方式で聞きまくりました。(この会社にいたことで、相手の懐に飛び込んでいく勇気とそれさえあれば自力で状況を好転できると学んだことは大きかったです)

嫁さんの夢であった「パン屋さん」開業経験が講座の骨子になっているのは、ご参加いただいた方たちはご存知です。

 

私の講座が具体的で高評価を頂いてる理由は、ちゃんと自分が取材をしていることとパン屋さんで成功も失敗も試練も経験していることが大きいです。

さて、その嫁さんのパン屋さんですが、2店舗でのパート経験しかない嫁さんと、私は全くの門外漢というど素人夫婦が手探りで始めたのが良かったです。業界常識では考えられない不利な立地、「ここでは無理です」と政策投資銀行の担当者さんも匙を投げました。

何しろ公園の目の前なので商圏として考える際の半分以上に住宅がありません。私鉄と地下鉄の最寄駅より15分以上かかり、なおかつゆる〜い登り坂です。しかも東京少年鑑別所前という信号機の真下というイメージの悪さ。リピート率が悪いこと、天候に左右されること、通勤時のついで買いも期待できないことなどネガティブ要素は数え切れません。嫁さんだけでなく、女性は近隣の同業での売価が気になるようで「売れなかったらどうしよう」なんて開店前から弱気です。しかし、これを乗り越える経験が自分たちを強くしました。

立地はどうしょうもないので、「競合のないところでも最高の品質」で行こう、主婦を狙うなどとゆるいターゲッティングはやめて、最重要顧客は「子育てお母さん」に決めました。あとは、「あそこのパン美味しい」という口コミです。子育て中のお母さんをターゲットとしたのは、口コミの起点になってくれるし、同様に子育て中のお母さん同士のSNSなどでのコミュニティがあるはずだとの狙いと、天然酵母で国産小麦という高品質が「顧客の顧客」つまりお子さん自身にも味で勝負できるだろうと考えました。

また、立地や経験不足などの弱みを強みに変えるように物語ブランディングを実践しました。

決して戦ってはいけない。あなたの「弱み」を売りなさい!。です。

ある時から全売上における食パンの比率が大きく伸びはじめました。不思議に思い常連のお客様に聞いたところ、ある離乳期のお子さんを持つお母様の「あそこのパンで作ったパン粥は食いつきが違う」というLINEへの投稿でした。

おかげさまで、たった5坪ほぼ一人で商うパン屋さんの年商は1200万円を超えたのです。天然酵母、国産小麦のパン屋さんの顧客は野菜についても気にしているはずだ!と仮説を立て、店頭で無農薬野菜を販売してみようと夫婦間で決めました。これは、将来自然農を始めることを思い描いていたので、野菜ソムリエさんに生産者さんをご紹介いただこうと決めて、講座の後先など事あるごとに聞いていたら、ご参加者の月岡美和さんから紹介できるとのお話がありました。

 

約束の日まで少し時間があったので、その頃参考書にしていた「タネが危ない」の著者野口勲のタネ屋さんにタネを買いに行き、あわよくばご本人に会いたいと思って行くと、嫁さんは店頭でタネを物色、私はご本人から「タネ」を取り巻く大問題の講義を受けることに!

ラッキー!でも福岡正信氏のことは最低の評価。お口が悪い。…

大問題とは、F1種がはびこった理由とその構造、固定種の存続危機、除草剤の環境破壊と雄性危機はひとつながりだと。

これで私の心に火がつきました。「そして運命が動き出しました」ではなく自分がこの社会の運命を変えなくてはならないと強く思い始めました。

自然農法というイノベーション

 

野菜ソムリエプロの資格を取得している月岡さんは、小田原の無農薬有機生産者さんたちが、地元にちなみ「二宮金次郎」にあやかった「金次郎野菜」ブランドで展開している農業法人のお手伝いで、マルシェへの出店のお手伝いや推奨販売をなさっていると。(ちなみに「金次郎」ではなく「金治郎」、「そんとく」ではなく「たかのり」←大きなお世話です。すいません歴史好きバカのひとりごと)

日にちを指定いただき、ご指示の場所に向かうと、全然違う相模原方向へ。

小田原に向かうつもりでいた不安がる嫁さんをなだめながら相模原の愛川に到着。

そして運命が動き出す。(しつこいので語尾を変えました)

にこやかに登場したのは、無農薬にこだわった偏屈で気難しそうなおじさんではなく、理知的な好青年です。この出会いが私たちを根本から変えました。

(月岡さんのご判断で「ちゃんと説明できる」東京農大出身の田村さんのご紹介にしたとのこと)

圃場を歩きながら「たむそん自然農園」代表の田村吾郎(ご自身も野菜ソムリエ)さんのお話は、実際に目にしながらでなければ、まゆに唾をつけながら聞くようなお話だったのです。

無農薬、無施肥、不耕起栽培、自家採種ですよ、皆さま。

福岡正信「自然農法 わら一本の革命」は本当だったのか…

でもその本のような荒野に作物が育っているのではなく、キチンと整備された圃場です。

必読の書として持っているけどまだ読んでいません。積ん読ですと笑うたむそん吾郎、恐るべし。

ワインソムリエの田崎真也さんもご自身の経営されているお店の仕入れに見えるとか…。

でも、殊更に特別扱いもせず、そのことを吹聴もしないというホンモノ感満載です。

地元生産者組合の目隠し品評会でも、常に全勝だそうです。

農家育ちの嫁さんは、もう座り込んで収穫のお手伝いをしています。

無農薬は当たり前だとして、無施肥ですよ。

肥料は一切やらないと。

タネが危ないの野口さんなら、「ありえません、窒素が足りない」というでしょうね。

でも目の前で元気そうに育っています。

不耕起栽培。

耕さないのですよ、皆さま。

耕すと自然の生態系としての微生物も逃げてしまうし、死んでしまう。

土と作物のためにはこの微生物のそのままの生態系が最適なはずだと田村さんは言います。

そして、自家採種。

それぞれの野菜に種取りのコツがあり、保存方法も様々だとのお話。

嫁さんは一心不乱にメモ取ってます。

これが自然農のバイブルの第一歩目。たったの一歩ですが、私たちにとってはジャイアントステップでした。月岡さんありがとう!

後日、パン屋の店頭で売ってみたいので、仕入れさせていただく約束をして別れましたが、長いおつきあいになり始めました。

 

たむそん自然農園ディ開催

この催しには、パン屋の店頭再活性化、無農薬野菜の啓蒙、自然農法野菜の市場需要度の検証とか書くと難しそうですが、受けるかどうか試したかったわけです。

ふたを開けてみると、少しの告知にもかかわらずに約2時間で完売!

「食べてびっくりした。スーパーの野菜は何かの冗談なのかと…。」朝一番のお客さんが午後にも再来店し、売り切れに怒るのではなく、納得しながら次回はいつだと聞かれます。

たむそん吾郎さんに確認する前に、毎月第2土曜、日曜開催ですと答えていました。

次の月の第2土曜日には、パン屋さんの開店時間6:00には人だかりがしていました。

想像以上に受けました!

パン屋さんの常連さんで、パンを買うたびに「駅前のお店より高いわね」とわざと呟く方でさえ、無農薬野菜の値段は見ないで買って行かれる。

これが、出会いによって自然農法とその野菜に確信を持ち、お調子者がまっしぐらに自然農法に立ち向かい、それを革命にしようとした瞬間です。

2050年には日本全土が自然農法で作物を作っているような社会を夢見て!

皆さんで力をあわせれば、絶対に可能です。

これが入院中最初の二週間の「なんでこの俺が大病なんて…」は「私が自然農を始める理由(気付き編)」で明らかになりました。次の「何のために生まれてきたんだっけ…」は革命を始めるためだったのでした(自然農法:原点回帰という名の破壊的イノベーションリンク)。

次の二週間は「何のために生かされたんだろうか」と日々考えていたのは、自然農法を生き方だけではなく「考え方」にまとめていくことも求められていることは、実践編で書きます。

パン屋さんの常連客をとりこにした、たむそん自然農園のお野菜たち。野菜嫌いの子どもたちの食わず嫌いが無くなりましたとの声も!ピーマン嫌いだった子が生でポリポリとか…(無農薬なればこそ!)