すごい移住
六次を見据えた一次産業
スケールメリットよりスモールメリット
小さく始めるのが小太郎流
地産地消から自産自消
野菜ソムリエ協会を人材発掘ヴィークル
10000人の食育番長 小太郎組
窒素偏重から炭素を頼りに
炭素循環農法
たった一人の革命
組織より連携連帯
こんなキーワードで日本の「農」と「食」を良くします。
世界のお手本になる地域を作ります。
応援願います(^O^)/
小太郎 拝


移住の経緯

私は、呉服屋の長男に生まれ、無意識のうちに都内で4店舗の呉服小売業を継ぐんだろうなぁとお気楽な学生生活を送っておりました。

高校卒業時に父親がすい臓がんであっさり他界してしまい、

危機感に過剰反応し学生時代に学生ベンチャーのはしりのようなことをしておりました。

(結構儲かったので別項でまとめておきます)

その営業権とバーターで協同広告という中堅の広告代理店に潜り込みました。

ですが、あまりに古い体質とその窮屈さに嫌気がさして退職。

赤坂のスナックで誘われるままにリクルート社に転職。

リクルート社退職後は、広告代理店渡り鳥になり、

株式会社UPUという会社が長かったです。

その後、ネットベンチャーに請われて新規事業室長などで直接金融からの資金調達を学びました。

36歳の時に、電通さんのプランナーとして独立。

インターネット分野での引き合いが多く、成長しました。

その後、ネットバブルに乗じてネットベンチャーを設立。

しかし、事業に失敗で一文無しになりました。

リーマン・ショック後の広告不況に乗じて、広告の価格破壊者になり、

8億、16億、35億と文字通りの倍々ゲーム。

が、メインバンクに追い出されてまたもや一文無しに。

サラリーマンから、経営者のライフシフトが一回だとすると、

第二回目のライフシフトは、嫁さんの夢だった「パン屋」を企画して創業。

政策金融公庫から立地が悪いと融資を断られるような場所で、「競合のないところで圧倒的な品質」

がうけて、5坪で1200万円の年商。

そして三回目のライフシフトが、この12月に家内の実家に移住し、

無農薬無施肥不耕起栽培の自然農法で就農するものです。

家内の実家は、45年間無農薬自然乾燥の美味しいお米を実直に育てて来ています。

昨年、義母と義父が相次いで亡くなりました。いつかは移住しようと夫婦で話していたのですが、

長女は、夢を叶えてニューヨークでファッションデザイナー、長男は日大芸術学部を来年3月に卒業予定。

子供も手が離れるのも良い機会として、移住することに決めました。

最初は、古い家屋と無用な建物の撤去と修繕です。しばらくは土木作業と大工仕事です。

また、パン屋が上手くいったので、それをネタに、古巣のリクルートの紹介で「日本野菜ソムリエ協会」

で独立開業指南の講座を持たせてもらっています。

結構好評です。これはライフワークとして続けていきます。

食の分野に取り組むきっかけ

2012年9月に、クモ膜下出血で倒れ、奇跡的に後遺症もなく暮らしておりますが、

病床や、退院してもなぜそのような病気になったのかが気になって、勉強するにつけ、

やはり一番大事なのは食べ物ということにたどり着きました。

野菜ソムリエ協会での講座を持つ前に、ガンサポートという雑誌で、

「ガンサバイバー100人に聞く」という企画をたてて調べたりもしていました。

野菜ソムリエのご縁で、神奈川の愛川町と、埼玉のときがわ町の無農薬栽培農家さんと知り合い、

無農薬無施肥での栽培と採種を学び、実践しようと思っているところです。

私は、モンサントやその存在をひた隠すマスコミ(恥ずかしながらその業界の最前線にいたのでよく分かります)を

「そちら側」と呼んでいますが、それらと対抗するには「学び続けるしかない」と思っています。

信州の塩尻で、地方に移住して就農するような方達のお手本になれるように頑張ります。