走り始めた理由と56歳での初マラソン

走りはじめた理由と56歳での初マラソン
2012年9月25日に発症、罹患したくも膜下出血は、奇跡的に後遺症もなく、術後経過も良好でした。
2016年の4年目MRI検査でも問題は見つからないことから、ドクターストップも解除され、運動も制限なくして良いことになった。
長女の友人で、高田馬場で整体院を経営するトレーナーを紹介され、身体のメンテナンスに通っているうちに、マスターズ陸上競技大会の話になり、50代で100メートル走にエントリーしている人のトレーナーもしているという。
ご本人は、大学時代に400m走のインカレ選手であったらしい。
そのご主人の人柄とランナーとしての実績や経験を頼りに、箱根駅伝の常連校の選手や、元旦のニューイヤー駅伝出場選手なども信頼を寄せて通っていると聞く。
ズバッと興味を持ち、中学、高校時代に得意であった短距離走にチャレンジする事を決める。
目標タイムは、11.8秒!
が、運動を控えていた4年間で、筋肉は落ち、腹部にも贅肉がついてしまった現実を見つめ、まず走れる身体を取り戻そうとランニングを始めることにした。
以前よりテニス時代の友人がランにはまった話を聞いていたので、その友人にランを始めるにあたってのアドバイスを受けようとコンタクトすると、具体的な指令が次々と!
1.渋谷のアートスポーツ(残念ながら2017年閉店)に行き、足型計測を受ける。
2.足型及び着地時の傾きに対応したインソールを選ぶ。
3.計測されたサイズを元に旧モデルのニューヨークを買う。
4.走りはじめる。
あまりに疑いの余地のない明確なアドバイスなので、全くそのようにする。
さて、’ランのコースだが、周回をぐるぐると回ってトレーニングするのが苦手だったので、ロードで探すと、近くに石神井川があるじゃないかと思い、距離測定アプリで自宅から距離を調べるととしまえんがちょうど3kmの所にあることを知り、
ランドマークも良いので、こことの往復6kmを最初のコースに決め、2016年の大晦日に通しで徒歩で歩いてみることにした。
これは、谷川真理さんの名言「歩けない距離を走ることは出来ない」に従い、コースの下見がてらでした。
同時に教科書を探し始め、以前に熟読した「下半身に筋肉をつけると太らない、疲れない」「上半身に筋肉をつけると猫背にならない、肩が凝らない」の著者で、大躍進した青山学院陸上競技部の顧問もしている中野ジェームス修一氏の「世界一太らない走り方」を購入。前著も大変参考になったので、信用度大!
大正解の名著!続けるコツの一つに、辛くなったら歩いても良いとある。
最初から走りきるのではなくて、川には橋がかかっているので、その橋間を半分頑張って走り、半分は歩くことから始めた。

走る割合を100%に近づけていけば、完走が見えてくるだろうとの思惑でした。
しかし、長年の運動不足の影響は想像以上に大きく、まずはハムストリングがピキッと、そしてふくらはぎ痛。次には8kmを超えたあたりで、左ひざ痛と右足指に痺れが出る様になる。その都度に約一週間の安静で走るのをやめる。
この頃、ふと立ち寄ったランニングショップで『第一回松本マラソン』のチラシが目に飛び込んでくる。移住先の嫁庵の実家をかすめるようなコースが設定されていて、後先考えずに夫婦二人で申し込む。
何事も目標があったほうが良い結果を生むと言いながら…

それにしても人間は(私限定か…)走らない理由、走ることをやめる理由をなぜいくつも考えつくのだろうか。
大きくは、天気の制約、次には今日のその後の予定への影響、最後には身体のパーツの不調子までが次から次へと頭に浮かんでは消える。
それでも自分をだましだまし、その方式でどうにか8月現在10kmを走れるようになる。
最初は、筋肉も心肺機能も無くて、ヨタヨタ走り、ランニングシューズの路面を蹴る音もパタパタと情けない限りでしたが、ある人のアドバイスで、骨盤で押していくようなイメージと骨盤前傾が正しいフォームだと知り、実践する。
レース一週間前に13km、1時間半をやりきる。
これもベテランランナーからのお言葉で、1時間半連続で活動できれば、なんとかなると…
他のランナーからのアドバイスでは、まだ長距離走の「足」が出来ていないだろうから、
膝と腰に負担のない様にいつもより小股が良いと…

2017年10月1日 レース当日、万全の準備でほぼ最後尾から走り始める。
はやる気を抑えながら、嫁さんと喋りながらゆっくりしたペースで3kmを順調に走りきる。
3kmを過ぎて、お互いのペースでのランに切り替える。
第一関門も第二関門も順調に通過できた。
しかし10km頃から、足が出て行かなくなり始める。歩く割合が増えてきたが、沿道の応援の皆様の視線があり頑張る。

この頃から背中に「最終走者」と書かれた白バイが車道側を行ったり来たりし始める。
見ると一般ランナーと色の違うゼッケンをつけた人を目印にしていることがわかる。
ということは、このペース走者が5時間30分設定なのだとわかり、付かず離れずで行こうと決める。
足がつるのが嫌で、エイドステーションの度にスポーツドリンクと水を飲み過ぎたのか、トイレに行かなければならず、ペース走者を見失ってしまった。
足の張りがひどくなり始め、ますます歩く割合が増えてきた。
そこに、第三関門でのカウントダウンが聞こえる。
残り30秒!
ダッシュでどうにか関門をクリアする。
嫁さんの実家のすぐそばまで走れたことに自分でも驚きながら足を進める。
国道とJRの線路を跨ぐ形で最近できたえびの陸橋の登りを「歩く」この頃には、自分の周りには元気に走っている人は皆無状態。
前にも後ろにも足を引きずりながらゴールを目指すゾンビの葬列が出来ていた。
そこにも沿道の応援があり「あと少しで下りだよ!」の声に励まされて再び走り始める。
川沿いの突き当たりを右に曲がると道を塞ぐパイロンが!
なんと試合終了。
お疲れ様でしたの声とともに靴にくくりつけたチップの回収にボランティアの女子高校生が近づいてきたときに終わったんだと。
外してくれるという彼女に、恥ずかしいから自分でも外すといったのだが、膝が折れない自分に気づき、とってもらう。トホホ…
56歳での初マラソンは第四関門19.4kmで幕を閉じました。
収容バスの中で思い起こせば、3kmを歩かずに走りきれたのも始めたなら、19.4kmを走ったのも人生で初めてのこと。
完走をできなかった悔しさはもちろんありますが、それよりも挑戦した自分を誇らしく感じました。
今はまだ上手に説明でないのですが、具体的に何がというのではなく、楽しかったです。
途中リタイアしたことで、変な話ですが、悔しいとかでもなく、ランは一生続けるだろうと思いました。
冷静になって振り返ると、長距離に耐えられる「脚」が出来上がっていなかったということでしょう。
また走り出します。

中高年ランナーがマラソンに挑戦することにした際に大事なことは、
過去の栄光や現役時代のイメージを全て忘れることです。
くれぐれも、サブ何とかとか、あわよくば何時間台とか妄想も捨てましょう。
娘にカッコいいと思ってもらえるなどの幻想はもってのほかです。