駆け出し百姓小太郎の自然農奮闘記
第一回 百姓万歳!
【口上】
「とざい、とーざい」駆け出し百姓の中村小太郎です。
中村屋の屋号とやんちゃな半生から「かぶきもの」とよく言われるので歌舞伎調で始めました。
この連載では、全くの農業不適格者が良き仲間(良き伴侶も)と良き指導者に恵まれれば百姓になれるということ、そして家族経営の農業はなんといっても楽しく社会のためになるということを証明します。
また、「誰でもできる」ことから百姓を志す人が増えれば本望です。食糧危機への備えになります。「百姓The Dream Job」プロジェクトも同時並行で推進しています。
そしてこのことは、国連が「家族農業の10年(2019−2028年)(なぜか報道されない)」として取り組み、持続可能性の切り札としていることから「世界から飢えと貧困をなくす」ことにつながります。
以降お見知りおきをお頼み申し上げます。
【気づき】
それでは、どれだけ不適格なのかをお話しします。少しお付き合いください。
「はい起きてください、これから毎日この時間にリハビリをします」理学療法士の先生の一言です。私がこの世に還ってきた瞬間です。
ITベンチャーの経営に無理があったのか、日々の生活習慣に原因があったのか、その双方か…
脳内血管動脈瘤破裂によるくも膜下出血。
病院に駆けつけた嫁さんへの主治医の第一声は「覚悟なさってください」だったと後から聞きました。
小太郎は、東京都杉並区で呉服屋の長男として生を受けました。
18歳で父が急逝し、呉服屋が倒産するまで呉服屋の跡取りになる人生だと思っていました。
いや思わされていたのかもしれません。
自由を手に入れた私は、今ではよく見かける「学生起業家」の走りのような学生生活を送りました。
卒業時後にリクルートという会社に就職し、数社を転職したのちにITベンチャーを起業し、株式公開を目指すが大病で挫折するという半生です。
「生きることは食べること」という最も大事なことに思い至った入院生活でした。
退院すると同時に会社を処分し、義父の無農薬の田んぼを手伝わせてもらうことに決めました。
駆け出し百姓の誕生です。
【土着】
「ジョレンヲモッテツイテコイオオセンゲノサライヲスルゾ」と親戚の兄さんに叩き起こされました。
「〇〇を持ってついて来い、以降は全く不明…」
「鋤簾」とは農機具の一種、蔵にありました。「せんげ」とはこの地方(松塩地方のみか…)独特の表現で「水路」のことだとわかったのは2時間の作業の終わる頃でした。
地域で力を合わせて田んぼに水を引く大事な前作業「さらい」に参加できた瞬間です。
農作業とは関係ないのですが、方言と思われる言い方に「だいじょ、だいじょ」というのがあります。みなさんもしたり顔でうなずきながら口にしてないですか。
ちなみに二回重ねても本当に「大丈夫」かどうかとは無関係のようだと知ったのは最近です。
どうやら「土着」できそうかな。「だいじょ、だいじょ!」
【仲間】
一年目の稲刈りを終え、ホッとしているときに、「ヤブカラボウニ(方言じゃないです、そのくらいビックリした)」農業を教えてください!とおっしゃる団体がありました。
現在は私と嫁さんで農業指導のサポートをしているママたちの団体アイスベアです。
一反の田んぼと二反の畑で無農薬無施肥不耕起栽培自家採取の
自然農でお米(田んぼは二回耕起しています)と野菜を作っています。
波田と穂高有明の圃場で取れた大豆で、夏には枝豆、冬には岡谷のキタヤ醸造店の指導で「手前味噌」も仕込んでいます。すごいですよね一年目から。
農業不適格者小太郎でも、農業初心者アイスベアでも自然農で作れます。
楽しく安心(仲間とワイワイ、子どもも安心)、あまりお金をかけずに(農薬も肥料も買いませんタネも自家採取)、喜んでもらえる(家族にも近隣にも)家族農業をみなさんもやってみませんか。
【お師匠】
なんといっても成功の鍵は「お師匠」です。
一年目は雑草がひどくて、親戚からは「本家はあれかい、ヒエでも育てているんだろうか」と言われていました。
池田町の有機JAS農家の矢口一成さん、波田の自然農法センターの皆さん、特に三木孝昭研究部長には、私たち全員(嫁さんもアイスベアも)お世話になることで、圧倒的に上手くいっています。
なんでも「プロに聞け」ですね。
さぁはじめよう!家族農業。
小太郎
(1767w)